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    ベンゾ処方量依存に陥ったドクターの減断薬と回復レポート

    One Year Off Benzodiazepines: A Doctor’s Journey

    著者:

    クリスティー・ハーフ医師

    投稿:2020年4月20日

    心臓専門医クリスティー・ハーフ医師による、ベンゾジアゼピン処方量身体依存となった彼女自身の処方経緯、離脱症状や減薬過程、断薬後の回復状況のすべてが記されています。

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    ベンゾジアゼピンを断薬してから1年経ちました。テーパリング減薬中、わたしは自分の減薬状況についてずっと公開してきました(こちらこちらをご参照)。そして今、多くの方が断薬後のわたしの体調について聞いてきます。なのでここですべてを、まとめて記そうと思います。これまでベンゾジアゼピンの減薬方法について話してきたこと、それからベンゾジアゼピン被害コミュニティから寄せられる、よくある質問にも答えます。
    減薬方法・退薬方法は人によりそれぞれであることをご理解ください。 ここでは私自身の経験を述べるだけであり、医学的アドバイスとして解釈されることを意図していません。 しかし、私のストーリーが多くの方々に役立つことを願っています。

    はじまり:

    2015年8月、ドライアイ症候群による激しい痛みが原因で眠れなくなり、わたしはザナックス(訳注:ソラナックス、アルプラゾラム。ベンゾ一覧はこちらをご覧ください)を処方されました。低用量(0.25 mg)を毎晩寝る前に服用することとなります。そして数週間後、振戦と重度の不安症状を発症しました。 いま思えばこれらの症状はベンゾジアゼピン投与間離脱症状であり、耐性がついてしまった結果でした。でも当時は、私にも処方医にもわかりませんでした。 この洞察力の欠如ですが、ベンゾジアゼピンに関して医師はほとんどトレーニングを受けていないことに起因しています。はい、わたしも含めてです。わたしは原因をつきとめるために2か月かけて複数の医療専門家にかかりましたが無駄でした。2015年当時はベンゾジアゼピン身体依存とそれによる離脱症状はあらゆる診察でまったく考察外でしたから。そしてその不毛な2か月間で症状は次第に悪化していったのです。
    悪化する不安症状に対処するために、処方医は日中にもザナックスを服用するよう勧めてきました。そして0.5mgを1日3回までの処方になります。処方量としてはこの時がマックスで、この用量を超えたことはありません。いろいろな検査を受けてその結果がすべて異常なしだったので、わたしはインターネットに助けを求めました。Googleの検索バーに「Xanax」(ザナックス)と入力し、たくさんヒットする薬物解毒施設や依存症専門施設のWebサイト(どれも私には当てはまらないようです)をふるいにかけ取り除いていき、ベンゾジアゼピン離脱専門のサポートフォーラム「ベンゾバディ」に行きつきました。 そこで多くの投稿を読み、自分の症状がベンゾジアゼピン依存症とまったく一致していることにショックを受けました。
    人生を取り戻す唯一の方法が、ザナックスから退薬する方法をなんとかして見つけることだとわかった瞬間でした。まずは自分でテーパー(減薬)してみましたが、まず不可能でした。それはただ単に離脱症状がキツすぎるためです。そして、ベンゾバディで「アシュトンマニュアル」というベンゾジアゼピン減薬ガイドラインがあることを知りました。アシュトンマニュアルは、この問題の臨床経験が豊富であるヘザーアシュトン教授という英国の精神科医によって書かれたガイドラインです。アシュトンマニュアルでは投与間離脱を避けるため半減期が短いザナックスから、半減期が長いバリウム(訳注:ジアゼパム、セルシン、ホリゾン。ベンゾ一覧はこちらをご覧ください)への置換を推奨していました。

    そして私自身医師であるにもかかわらず、この情報を提供しようと処方医のもとへうかがいましたところ私は解雇されてしまいました。ある同僚は、わたしの服薬がほんの2~3週間だったので漸減する必要はない、簡単にやめることができるはずだと言いました。また別の同僚はわたしが中毒者(薬物依存者)であることをほのめかしてきました。もちろんこれは正しくありません。ここは強調したいのですが、身体依存(physical dependence)と依存症(addiction)は同義ではありません。適切な用語の使用を切にお願いしたいです。
    さらに症状は悪化していき、非常に深刻な状況寸前にまでなりました。 このような状態でさらに1か月、必死になって調べたところ、私を信じてくれる地元の精神科医にたどり着いたのです。 彼は6週間かけてザナックス(ソラナックス、アルプラゾラム)からバリウム(セルシン、ジアゼパム)への「クロスオーバー(置換)」を手伝ってくれました。 最終的に15 mgのバリウムで安定し、服薬間離脱症状は緩和されました。

    減薬:

    2015年12月27日にバリウムのテーパー(減薬)を開始しましたが、それが数年間に渡るプロセスになるとは思いもしませんでした。 精神科医と私は従来の「カットアンドホールド」法を推奨する、アシュトンマニュアルのスケジュールにしたがってテーパーを開始することにしていました。 最初15mg服用からたったの1mgを減薬してみました。 しかしこれは耐えがたい離脱症状を引き起こしたのです。最も厳しい症状は頻脈、化学物質恐怖症、および重度の嘔吐感でした。アシュトンマニュアルの減薬スケジュールはわたしには早すぎたのです。

    すぐに元の15mgに戻し症状が安定するまで1か月待ちました。その後、今度は0.5mgを減らしてみて、なんとか耐えられる範囲の離脱症状で済むことを確認できました。アシュトンマニュアルでは2週間ごとに減薬を進めていくスケジュールになっていますが、私の場合は減薬後の安定化に2~3週間かかることがわかりました。

    15mgから7.5mgへの減薬、つまり前半戦はだいたい1年かかりました(2016年4月に乳がんと診断されたため、2回の手術を含む6か月間はステイする必要があった)。しかし後半戦、7.5 mgから断薬までは2年3か月かかったのです。 これは精神薬理学者マルコム・レーダー博士の「減薬初期ステージは後半および最終ステージよりも減薬を進めやすい」という観察と一致しています。減薬が進むにつれて予定減薬量がその時の服薬量に対し割合(%)としては大きくなるためと考えられます。「カットアンドホールド」法での減薬中、服薬量の7%までの減薬量であれば耐えられることがわかりました。 7%を超える減薬は私にとって破滅的でした(注意!あくまで私にとってベストな数値です。人によってはもっと慎重に減薬する必要があり、またより早く減薬を進めることができる人もいます)。

    減薬の中間地点で、もはやそれまでの減薬量では耐えられなくなってきました。つまり、もっと細やかな減薬量にしないと進められない。私はベンゾバディで「マイクロテーパリング」法があることをすでに知っていましたが、それはなんだか威圧的だと思ってました。あり得ないというか…。でもやり方を変えなければそれ以上の減薬は無理であることはわかっていたので、マイクロテーパーリングの研究を始めました。 一部に固体製剤から液体製剤への移行が困難である人がいるとわかり、研究室グレードの秤を手に入れることができたので精密秤での「マイクロドライカット」法が私にとっては最良の選択肢であると判断しました。私は投与薬の変更に敏感で、液体化が新しい変数となり潜在的な不安定要素になると思ったのです (水溶液マイクロテーパリング減薬で離脱に成功した人はたくさんいます。この選択はただ単に私自身のものです)。

    マイクロテーパリングに使用した精密秤

    ドライマイクロテーパリングはある程度計算が必要であり勉強しなければならない、それに錠剤をカットするより作業に時間もかかります。でも私はすぐにコツをつかみました。 「カットアンドホールド」法による減薬を進めたときの、大きな離脱症状に打ちのめされることはなくなったので、わたしの減薬プロセスは全体的にスムーズに進むようになりました。カットアンドホールドが階段を下りるようなものに対し、マイクロテーパリングは下り坂を歩くようなものと説明されていますが、それは実に的を得ています。ただそう簡単にはいきません。下り坂には所々隆起があるし、減薬が進むにつれ小さな離脱症状は蓄積され大きくなっていきました。そのため度々減薬率をさらに小さくしたりステイしたりを繰り返します。試行錯誤の末、バリウムを1か月あたり0.25mg~0.3mg減薬していくペースが最適解であると分かってくるようになりました。

    かなりゆっくりとしたテーパリングにもかかわらず、減薬は最初から最後まで悪夢でした。一部の人は減薬が進むにつれて改善する傾向がありますが、それは私には当てはまりませんでした(ただ、吐き気と感情鈍磨は改善されました)。断薬するには減薬を続ける必要があります。日常生活をなんとか送れるギリギリの水準を保ちながら、可能な限り減薬を進めていきました。 定期的なステイである程度の安定感を得ることができましたが、減薬中に気分が良くなったことは一度もありません。時々訪れる「マシな日」というのは普通の人にとっての非常に悪い体調と同じです。バリウム断薬までの3年と2か月間、離脱症状がなくなったり爽快な気分になったりすることは一度もありませんでした。

    私の離脱症状は79個ありました。Twitterアカウントに書くのは悩んだものです。でも、もしご自分の症状に疑いのある方は一読に値するかもしれません(管理人注釈:「慢性疾患と似ているベンゾジアゼピン医原症状」をご参照ください)。 家族は私が死ぬかもしれないと思っていました。 人生は狂い、特に減薬後半はほとんど寝たきりになって自室に隔離状態でした。 シャワーを浴びたり、着替えたり、料理したりといった基本的なことさえ難しくなりました。
    ベンゾジアゼピン離脱の最悪な事はその強度や重症度もそうだけれど、絶え間なく何年も続くという事実です。24時間年中無休の容赦ない「拷問」になります。毎日拷問から逃れるために死にたいと思っていましたが、いつかまた元気になるとの希望を抱き続けました。自死してもまったく構わない、というところまで追い詰められたこともありました。自死できたらオーケー、できなければそれはそれで苦しい(どちらも同じだ)。この過程で、わたしは自分の体に襲い掛かる灼熱地獄を冷めて見る観察者になろうとし、普通なら緊急治療室に送り込まれるような症状群を無視するように努めました。システムが破綻したので警戒装置を作動させないように努める、なんていうのはなんとも奇妙な状況です。でも生き残るために必要な考え方でした。

    最終フェーズ~減薬完了:

    バリウム(ジアゼパム、セルシン、ホリゾン)の減薬が進み、服薬量が1日2mg以下までいくと、離脱症状を引き起こしている興奮系神経伝達物質の暴走を食い止めるベンゾの力が弱まるのを感じました(管理人注釈:「リサ・リンのこれが人生(後半)― スタンフォード大学 アナ・ランプキー教授発言①」の動画をご参照ください)。1mg以下になると身体的にも心理的にも飲んでいないのと同じように思えました。慣れ親しんだ離脱症状が暴走列車のようにさらに激しく襲いかかります。日内変動のサイクルはさらに速くなり、数時間ごとから数分ごとに変化するようになりました。もはやこの状況でステイは意味がないと思い毎日マイクロテーパリングでの漸減を進めました。
    ベンゾジアゼピンを初めて口に入れてから4年経ちました。私の体は完全に大破。めまい、頻脈、数分ですら耐えられません。筋肉の痙攣がひどく、脚は石柱のように感じ歩けない。握力も弱くなり洗濯物を洗濯機から乾燥機に移すことすらできない。炭水化物を渇望し、食べることは気分がマシになる唯一の手段だったので(ほんの数分ですが)、減薬中に22キロも太ってしまった。メタボと栄養失調になりました。鏡をのぞいてみると自分とは思えない。 ベンゾジアゼピンが私にもたらした被害は恐ろしいものでした。
    テーパリング減薬を開始してから3年2か月20日後に、0.175 mgのバリウムから「ジャンプ(断薬)」しました。 この数値に意味はありません。 どんどん削って減らしていった錠剤の塊が米粒のように小さくなり、小さすぎてこれ以上は手先を使って削る作業ができなくなったので“完了”と判断しました。

    10セント硬貨、ジアゼパム2mg錠、それを削ったもの

    ジアゼパムを何ミリで“断薬”すればいいか。いろいろな説があります。アシュトンマニュアルでは0.5mgを推奨していますが、ベンゾコミュニティではほとんどゼロまで、またはゼロに近いところまでマイクロテーパリングするよう言われることもあります。 私自身のケースを振り返ってみると、たしかにソフトランディングのためにはできるだけゼロに近づけるのが最善でしょう。でもゼロにこだわることはないと思います。
    多くの人々はベンゾジアゼピンの減薬をとても不安に思っています。私もそうでした。 しかしそれは地球を破壊するようなカタストロフィ、というほどのことではありません。バリウムを0.175mgで断薬、それは減薬中の「カットアンドホールド」の階段を下りるときと同じです。ジャンプしてから数日後に症状が一気にキツくなりその後約3〜4週間で落ち着きました。この過程は減薬中と同じだったので対処方法には慣れていました。ジャンプから2か月目の方が1か月目よりもキツかったです。これはおそらく体内に残っていた少量のバリウムが完全に体外に排出されたからだと思います。
    やはり多くの人から聞かれる質問に、テーパリングとは違う方法を試したことがあるかというものがあります。 もし今の知識経験があったらきっと最初からマイクロテーパリングで減薬していくでしょう。それは明らかに離脱症状を滑らかにします。ただ最終的な結果は変わらないでしょう。わたしはこの挑戦で最善をつくし、その間自分で下したあらゆる決断になんら後悔はありません。どんな方法であろうと「患者主導で、症状ベースで」というアプローチを基本原則とするアシュトン教授の指針に従うことが、ベンゾジアゼピン減薬における最善の方法です。どれほど時間がかかっても、です。

    断薬後:

    私の体を破壊していた薬を服用する必要がなくなって本当に安堵しています。処方箋がもらえなくなることで一気断薬になってしまい、深刻な離脱症状に陥るという不安と脅威はいつもありました(管理人注釈:多くの減薬中患者が表立ってベンゾ問題を主張できない理由のひとつです。処方箋無しでは手に入らない薬なので、テーパリング減薬完了までは主治医による継続処方は命綱になります)。断薬してから1年、もうバリウムのことを考えることはありません。「ワオ、もうぜんぜん興味ないわ!」。単に必要がなくなったからであり、いまの人生には関わりがないからです。
    ベンゾジアゼピンを減薬する人々にとって最大のショックの1つは、減薬が完了してもまだ終わりではないということ。脳と体は断薬してすぐ回復、というわけにはいかず、私の場合完全に断薬した後にやっと実質的な回復が始まりました。
    今年は回復と正常化に費やしました。 新しいプライマリケア医と一緒に食事内容を変更し、異常値を改善することに取り組みました。最初の数か月間はケトン食療法を行いました。 いまは厳密な事はもうしていませんが、砂糖、穀物、加工食品をなるべく摂らない食事を維持しています。もうメタボではなく16キロ減量し、脂質プロファイル(Lipid profile)も改善しました。断薬して1か月後からは、理学療法で重度衰弱に対処しました。ひどく弱っていたわたしに、理学療法士は標準的なパラメーターの他に、洗濯・調理能力を回復バロメーターとして採用しました。
    断薬後2か月、おおまかに回復を感じられるようになります。しかしそれは直線的に回復するわけではありません。「ウェイヴ」(激しい症状のある時間)と「ウインドウ」(比較的安定した時間)の変動パターンに悩まされました。
    ベンゾジアゼピンからの離脱はまるで死から目覚めるかのように感じました。リップ・ヴァン・ウィンクルの主人公のよう(訳注:リップ・ヴァン・ウィンクル、浦島太郎的ストーリーの短編小説)。よく行っていたスーパーに行ったとき、シュールなデジャヴ感がありました。店内のすべてが色鮮やかに見え新鮮なのです。もちろんよく行く店ですから光景自体は記憶があります。また、娘の学校が終わるのを待っているとき、突然校舎前の庭の美しさに目を奪われました。それは減薬中、週に何回かよく見ていた庭です。それから人々が着ている服など身の回りの細部に気づき始めました。どうやら私のステージ衣装もすべて買い替える時が来たようです!
    回復するにつれ動けるようになってきました。しかし身体的ダメージだけでなく認知機能もやられていたので、料理ができるようになったものの、最初のうちは出来上がったものはほとんど“ハチャメチャ”でした。例えばコブラ―(焼き菓子)を作るとき、必ず小麦粉を入れ忘れました。これは今でも家族の笑い話になっています(クッキングヒント:小麦粉なしのコブラ―はバニラアイスに合います笑)。
    断薬4か月後、意欲が身体回復を超えるようになります。人生を何年か失ってしまったので取り戻したい欲求が強く、いろいろなことに取り組み旅行や外出もたくさんしたくなります。ですがすぐに疲れてベッドに横になります。なので毎日のスケジュール管理がタイヘン。明らかにできることは多くなっていますが、認知機能が回復してないので頻繁に約束を忘れてしまったりしました。
    いっぽう、見た目は以前のわたしに戻っていました。「ベンゾ病」のわたししか見たことがない娘のママ友は、私を2度3度見ながらずいぶん綺麗になったわと言ってくれます。そして何か秘訣があるの?と。でも秘訣はなく、毒が取り除かれ“通常の状態”に戻っただけなのでした。
    フラストレーションもありました。体調が悪い間、待つということ以外は何もできませんから。症状を和らげるためにテーパリング減薬をさらに細かくしたりステイしたりなどといった作業はもう無いし、断薬という目標もなくなったので拍子抜けしてしまった感じ。

    さて、ベンゾジアゼピンサポートグループには漸減方法に関する情報は豊富にあります。ただ離脱後の回復期間についての情報は少ないです。そのため断薬後に役立つ心構えのようなものをシェアします。これらは1年経ったいまでもまだ私は利用してます。

    1. 回復には時間がかかる。忍耐強くそれを待ち、自身の体が回復作業を一生懸命おこなっていると信じる
    2. 早朝になるべく脳を使う仕事(執筆作業など)をやる
    3. プランナー(訳注:Microsoft Planner。タスク管理アプリ)を使用してTo-doリストや予定を管理する
    4. エネルギーを消耗するようなモノ・ヒトとの間に境界線をひく。例えば電話やSNSを制限する。週末は充電に努める。
    5. 自分自身の活動ペースに歩調をあわせ、自分自身が休息をとることを許可する
    6. 不要なストレスは取り除く。不要なタスクも取り除く
    7. 小さなことからとりかかる。この4年間、家庭は大惨事となり脳傷害に翻弄された。いまはただ1日ひとつ、タスクをやればOKとする。1年後はもっと良くなる!
    8. まだ起床時調子が悪いときが多い。しかし起きて活動すると残存離脱症状から気をそらすことができる。


    役に立つ薬剤・サプリメントについて:

    減薬中に、離脱症状緩和のため何が効果があるか知りたい方は多いと思います。 残念ながら、ベンゾジアゼピン離脱に役立つ万能薬やサプリメントはありません。副作用や薬物相互作用のリスクを避けるため、なるべく何も加薬しないことが最善でしょう。多剤処方は深刻な問題を引き起こす可能性があることはよく知られています。
    そうは言っても、減薬中必要なときに特定の症状を緩和するために、別の薬を服用することに私はそんなに躊躇しませんでした。たとえば、私の場合激しい胃酸逆流がありました。制酸剤とH2遮断薬は効かなかったので、プロトンポンプ阻害剤(PPI)のパントプラゾールを服用しました。PPIを服用するにあたってかなり調査したところ、それはバリウムの血中濃度を上げる可能性があることがわかりました。なので相互作用が最も低いパントプラゾールを選択したわけです。このおかげで胃酸逆流に伴うQOLは改善できました。
    ベンゾジアゼピン離脱による頻脈や動悸を和らげるために、必要に応じてベータブロッカーであるプロプラノロールも服用しました。減薬の後半は毎日使用しました。バリウム断薬から数か月後、プロプラノロールとパントプラゾールの両方を漸減しましたが、ありがたいことにそれらの減薬はバリウムよりもはるかに簡単でした。
    そのほかにも試した薬はあります。離脱症状に不眠症状があったのでレメロン(ミルタザピン、リフレックス)を処方されました。それは不眠にはよく効きましたが、1回の使用で2日間ゾンビのようになってしまったのを覚えています。また家族のみんながレメロンで私が怒りっぽくなったと言うのでした。結果としてレメロンは取り続けることはありませんでした。
    サプリメントについて。サプリメントを追加することでも離脱症状を悪化する可能性があることは知っていたので、とても慎重に試しました。減薬前半はNatural Calmパウダー(クエン酸マグネシウム)を使用して重度の便秘を緩和しました。マグネシウムの使用は議論の余地がありますが、私にとってはうまくいき飲み続けました。不眠改善のためにメラトニンも試しました。悪影響はありませんでしたが効果もありませんでした。
    減薬中、血液検査で鉄分、ビタミンD、ビタミンB12のレベルが低いことがわかりました。パントプラゾールには副作用があって、鉄分とビタミンB12の吸収を妨げるのです。主治医はサプリメントを勧めてきました。サプリメントに関しての問題は一度だけあって、高用量のビタミンB12を含むタンパク質粉末を始めたときのアカシジア発症です。この時はまず1週間やめてそのあとゆっくりと滴定(希望する投与量に達するまで毎週1杯の粉末を追加)。なんとか高容量B12のタンパク質粉末を続けることができました。新しいサプリメントを試す場合は、最初はゆっくりと少ない量から試していくことをお勧めします(start low and go slow)。
    残念ながら私が学んだように、ベンゾジアゼピン離脱症候群の特効薬はありません。 役立つものを探す行為は試行錯誤のプロセスです。どんな薬やサプリメントであれ改善と悪化、両方の可能性があります。それゆえ人体実験はなるべくなら避けたいものです。減薬後半では新しい薬やサプリメントを試そうとはしませんでした。結局最も役に立ったのは、ゆっくりとしたテーパリングと時間薬だったのです。

    現在のわたし:

    断薬から1年たちましたが、まだわたしは以前の自分に100%戻れていません。そうは言っても、断薬直後よりはかなり回復しています。とくに24時間365日続いていた容赦ない拷問はもう過去の事。思考はクリアになり、活力と日常生活でやれることは増加し続けています。悪いニュースとしては、やはり離脱症状がまだ残っている事でしょうか。厄介な残存症状は、内臓振戦(体内が感電しているかのようにブルブル震える)、疲労感、断続的な動悸、および筋肉の痛みや痙攣です。起床時はまだ辛く、不安とともに目覚め動悸がします。しかし数時間で収まり強度もかなり緩和されました。
    よく私の回復度をパーセンテージで表現してくれ、と言われますが、数値で表すのは困難です。何ができる、できないといった機能レベルの観点で話す方が表しやすいのです。 午後は横になって休む必要がありますが、去年のように寝たきりではなくなりました。 シャワーを浴びたり、料理をしたり、洗濯をしたり、散歩をするなどはもう問題ありません。 しかしまだ身体的には回復途中で、注意してないとフル活動したい熱意で動きすぎて「クラッシュ」し、数日間横になってしまいます。 ただしこれは時間の経過とともに起きにくくはなってます。
    数か月前、地元のがんセンターで理学療法からパーソナルトレーナーによるエクササイズに移行しました(乳がんの病歴があるため、このプログラムを受ける資格があったのです)。つまり、ようやく他の癌患者と一緒にグループ運動に参加することができるまで回復したわけなのです(笑)ガン患者さん達には積極的な化学療法を受けている方もいますが、私よりは体調が良いです。 わたしが随分悲惨な状況にいるみたいですけど、ベンゾジアゼピンは何年もの間私を破壊し続けていましたし、ちょうど1年前はまだ寝たきりだったのだからそれはそうでしょう。長い道のりだった。
    2020年3月、健康状態をテストする最大のイベントがありました。春休みにディズニーランドに行きました。ベンゾジアゼピン断薬から1周年を迎える直前の3月15日でした。空の旅とランドでの3日間は、全力ではないにしろ、忙しく歩き回ることができました。帰宅後はCOVID-19のためずっと夫と9歳の娘と家で隔離状態が続きましたが、この期間中1日3度の食事を準備し、娘のホームスクーリング(在宅学習、ホームエデュケーション)に取り組みました。この状況下で極度のストレスにもかかわらず対処することができてます。昨年だったらまず不可能です。

    2020年3月、娘とディズニーランドにて

    回復はしているもののまだ調子の悪い日はあり、満足できない気持ちはもちろんあります。最近、自分自身にこう尋ねました。「もし残りの人生も今のままだったらどうだろう、このように生きられるだろうか?」 答えはイエスです! まだ症状と制限がありますが私は自分の人生を生きています。再び喜びを経験することができ、今とても充実しています。毎日死ぬしか他に手がないと思っていた時期があり、そうしなかったのはとても嬉しいと思えます。

    ベンゾジアゼピン誘発性生き地獄とともに何年も暮らしてきた結果、私が経験しているこの症状は単なる離脱だけではないことは明らかです。薬物による神経学的損傷によるものであり治癒には長い時間がかかるでしょう。 減薬の間にも徐々に治癒していくと思いますが、断薬後1年間の自分の目覚ましい回復を考えると、大幅な回復には薬剤をやめる必要があることもまた疑いありません。少なくとも私にとっては、本当の回復はベンゾジアゼピンをやめてから始まりました。どれくらいの時間がかかるのか、完全に無症状になるかどうかわかりません。回復の軌跡が続くことを期待していますし、前向きに考えています。 それから、最近この試練について語るとき、無意識のうちに過去形で話すようになっています。

    さいごに:

    人生で最も困難な時を乗り越えるために支えてくれたすべての人に感謝します。家族、テーパリング減薬指導をしてくれた友人アーニー、ベンゾジアゼピンインフォメーションコーリションの友人や同僚、そして減薬中処方し続けてくれ助けになってくれた地元の精神科医です。
    この試練は私に新しい視点を与えました。以前より寛容な人間になり、過去に気になっていたことはどうでもよくなりました。お金や物は価値が薄くなり、友人や家族との関係が最優先です。
    回復し活発に動けるようになってきて、ベンゾジアゼピン支援グループで活動する時間は減っていますが、心は常にこの問題についての啓蒙にあります。 ベンゾジアゼピン問題に関する執筆と意識の向上に焦点を当ててこれからも活動し、ベンゾジアゼピンインフォメーションコーリションでのディレクターは継続する予定です。
    心臓専門医としてすぐに診療に戻る予定はありません。 やっぱり現在優先するべきは健康回復に集中すること、そして家族との時間を取り戻すことになりますから。 けれども臨床に戻ったらみなさんに約束できることが一つあります。ベンゾジアゼピン依存症、離脱症状、そしてベンゾによる神経傷害を診断で見逃すということは、わたしの診察では決してないでしょう!

    (翻訳&注釈:ベンゾジアゼピン情報センター 管理人


    著者:クリスティーハーフ医師 Christy Huff, MD, FACC
    クリスティーハーフ医師  Christy Huff, MD, FACC

    テキサス州フォートワース在住の認定心臓専門医。ダラスのテキサス大学サウスウェスタンメディカルスクール医学部で学び2001年にアルファ・オメガ・アルファ卒業。2004年セントルイスのワシントン大学で内科学修了。2008年テキサス大学サウスウェスタンメディカルスクール医学部で心臓病学を修了。2008年よりフォートワースで心臓専門医としてプライベートプラクティス(医師や弁護士などのフリーランサー)。2011年出産を機に退職し専業主婦。

    2015年健康を害し不眠対処としてザナックス(ソラナックス・アルプラゾラム)を処方され(訳注:不眠の原因はドライアイ症候群)2~3週間の連用で常用量離脱発生。ベンゾジアゼピン離脱症状について主治医および著名な神経科医からも回答を得られず、独自に調査し自分の症状がベンゾジアゼピン離脱症候群であることをつきとめる。
    地元の精神科医の助言のもと、ザナックスをバリウム(セルシン・ジアゼパム)に置換し、マイクロテーパリングでジアゼパムを漸減。自身の体験によりベンゾジアゼピン離脱症候群の厳しさとその危険性を認識することとなり、医大ではまったく教えられてこなかった事実に愕然とする。3年2か月のテーパリングをへてバリウムを断薬。断薬後1年経過した現在大きく回復。ベンゾジアゼピンの危険性と安全な減薬方法についての医師への教育、およびベンゾジアゾピン処方規制の必要性を啓蒙しつづけている。