キャリー・シードマン ヘラルドトリビューン社チーフコラムニスト
左:故ステファニー・アイゼンスミスさん(2016年10月21日自死)
右:娘さんのヘザー・コールドウェルさん
“母はベンゾの危険性をとにかく世の中に伝えたかった。だから恥も外聞もなくYouTubeに投稿したんです”
ベンゾジアゼピン抗不安薬を何年も服薬しそして断薬したサラソタの女性、Caroline Chamblissについてのコラムをようやく投稿し終えてから24時間も立ってない時、その“最初の電話”は鳴りました。「はい、ヘラルド・トリビューンのキャリーです」
男性の声でした。「あ、あの、あ、あなたがベンゾジアゼピンから離脱している方ですか?」
わたしは躊躇して答えました。
「あ、いえ。わたしはベンゾジアゼピン離脱をした女性について記事にしたジャーナリストです。」
彼は自分の名前、年齢など自己紹介する余裕もなくとても緊急事態のようでした。とにかく助けが必要だと主張しました。 - あなたにはサポートがありますか? インターネットにアクセスできますか? 協力的な医者がいますか?という私の質問に彼はすべて "いいえ"と答えました。わたしは彼の住所を聞いてみました。そうすれば地元のエージェンシーに紹介できるかもしれません。チラッと電話機の液晶に表示されている発信者の市外局番を見てみると、ぜんぜん知らない局番です。彼は答えました。
「サンディエゴです」 ― “サンディエゴ!”
その時わたしは(以前取材した)Chamblissのストーリーを完全に理解したのでした。医療施設の助けや認知がなく、毎年このアメリカの何百万人もの人々に処方されているベンゾジアゼピン薬からの離脱がいかに困難を極めるかを。あなたの街にその方法がわかる医療者が誰もいなければ、3000マイル(訳注:4800km. アメリカ西海岸から東海岸まで約5000km)も離れた小さな町の私のようなジャーナリストにすら、それこそ必死に食らいついてコンタクトを取らなければならないことを!それ以来、私はベンゾジアゼピン系薬剤で健康、キャリア、人間関係、生活が破壊された20人以上の人達を取材しました。これらの薬剤は中毒性はないとされていましたが、それはあくまで短い期間か、ごく稀に頓服としての使用に限る、という条件付きだと理解しました。例えば、コラムにとりあげたことで感謝のメッセージを残してくれたクリスティウォーカーの話しを聞いてください。以前は医療従事者だった44歳のサラソタのこの女性に会った時、彼女は自分のホラーストーリーを話してくれました。
“1990年代の終わり、娘と折が悪くストレスの日々を送っていたウォーカーに、かかりつけ医は一般的な不安症としてベンゾジアゼピンを処方しました。かかりつけ医はまったくその薬のリスクについて説明しませんでした。’模範的な患者’だった彼女も特になにも尋ねず、指示に従って毎日服用しました。 ベンゾジアゼピンを2〜4週間以上服用させないように勧告されていたにもかかわらず、ウォーカーは忠実に処方どおりに服用し続けました。”
“2010年、いよいよドミノが崩れ始めました。まずは目まい。立ち上がるだけで心拍数は跳ね上がり血圧は劇的に下がりました。2014年には全消化器系が暴動し、体重が致命的な84ポンド(訳注:38kg)にまで下がったため、ウォーカーは3カ月で3回入院し、完全自律機能不全と診断されました。”
医師は数十種類の診断を下し、オピオイドを含めて何十種類もの薬を処方。とりあえずこれ以上体重が落ちないように、ただ単に体重を“引き上げる”ためだけに。オンラインで徹底的にしらべた彼女はこれがベンゾジアゼピンのせいだと確信しました。しかし医師たちは彼女の確信を完全に無視したのです。
“彼らはみな聞く耳をもちませんでした”。ウォーカーが言うには、“一笑に付し”そして“あなたの妄想だよ”というのでした。彼女はベンゾバディ、BIC、w-bad.orgのようなオンラインの情報源を使って、英国の医師ヘザーアシュトンが作成したプロトコルであるアシュトンマニュアルを学びました。そのマニュアルを使いウォーカーは2年半かけて服用量を最小限まで減らしたのです。彼女は語ります。「拷問でした」…。彼女はいま、姉と暮らしていて、彼女が要請した州の聴聞会の開催を待っています。それは2度拒否され3度目の要請はまだ保留となっています。
…ベンゾのコミュニティではウォーカーのケースはラッキーなほうだと思われています。2016年に非営利のベンゾジアゼピン情報協議会(Benzodiazepine Information Coalition)を設立したベニス居住のジャニス・カールによると、オンラインコミュニティでは2014年以来200人以上の自殺が確認されている、と言います。この前の8月だけでもすでに4人、自死の確認がとれています。
2016年にはブラデントンの居住者ステファニー・アイゼンスミスが10年間のベンゾ使用後に減薬しようとしていましたが、アカシジアを発症してしまいました(アカシジア:体が勝手に震え動き出し何時間もそれが続く症状。自分の意思で止めることができない)。
彼女は自らをYouTubeに投稿し、この薬の危険性を公開しています。
2016年にはブラデントンの居住者ステファニー・アイゼンスミスが10年間のベンゾ使用後に減薬しようとしていましたが、アカシジアを発症してしまいました(訳注:アカシジア:体が勝手に震え動き出し何時間もそれが続く症状。自分の意思で止めることができない)。彼女は自らをYouTubeに投稿しこの薬の危険性を公開しています。
セリフ翻訳:『これが、アカシジアよ。実際、こんな感じ。これのせいで、眠れない(涙声)
この動画を、皆さんに、知ってもらうために、残したい…。OK, 撮影止めて』
故ステファン・アイゼンスミスさん1966年 5月5日 〜 2016年10月21日
“クロノピン(クロナゼパム、リボトリール、ランドセン)を処方された日、わたしは死刑判決を受けたのです。” ― ステファニーは自死の直前、フェイスブックで語っています。“この苦しみは表現できない。この世のものではありません”。2016年10月21日にサンシャイン・スカイウェイ・ブリッジから飛び降りる数分前に母親のステファニーから遺言メールを受信した娘のヘザー・コールドウェルは、なぜ悲劇的な選択をしなければならなかったのか、母は人々に理解してほしい一心だったのだ、と確信しています。
“この薬が脳の化学的性質をどれほど変化させるか、そしてそれが元に戻るのにどれほどの期間がかかるのか、それを人々が、専門家も含めまるで分っていないのが悲しいです。” コールドウェルは語ります。“母はベンゾの危険性をとにかく世の中に伝えたかった。だから自らの恥も外聞もなくYouTubeに投稿したんです。”
ベンゾジアゼピン情報協議会の創立者ジャニス・カールは自己免疫問題、幻覚、視力障害および感染症を経験し、ベンゾが原因だと特定するのに5年間要しており、(自殺という)その選択を十分に理解していました。彼女がマイクロテーパリングという手法でゆっくり減薬している長い期間、“さっさとこの体を放棄してあの世にいってしまいたい”と何度も思ったそうです。“ベンゾ離脱中の方々はとても脆弱な状況にあります。唯一の助けになるオンラインサポートグループは救いにもなりますが、自殺への道を歩む大勢のネットユーザーに晒されます。
たとえば一気・短期断薬してしまった、もしくはしようとしている人たちの自助会などです。そういったグループに巻き込まれ、結局平常化されてしまってます。”と、ジャニス・カールは述べています。つまり、腰痛から不眠症にいたるまで、いろんな症状を訴える患者に対しベンゾジアゼピンを処方する一般開業医は、彼らの患者の長期的損傷を意識していません。 医療従事者はベンゾジアゼピンが慢性疾患の原因ではないとし、患者の精神状態に起因すると主張し続けています。そうして自殺や後遺症は患者の問題としておけば世の中は今のところバランスが取れている、ということです。
“患者の精神の問題であるからベンゾを継続処方するのだと、ドクターたちは正当化します”
“すべての負担は患者側に負わされている状態です”
医師がベンゾジアゼピン依存症の可能性を患者に知らせることを義務づけたマサチューセッツ州議会での審議中の法案は、小さいながら確かな第一歩です。オンラインサポートコミュニティのメンバーにとってそれは希望の灯であり、しかしまだまだ絶望の兆候でもあります。
…
今日、差出人名のない1通の電子メールが受信トレイに入ってきました。その内容をみるとどうやら「51歳のベンゾ服薬中の女性が一人暮らしでとても怖がっている」ものでした。「わたしにはまったくなんの援助もありません…」とメッセージに書いてあります。その女性のdowninaholeを使って電話番号を調べて何度も電話してみました。しかし連絡はとれていません。
(翻訳&注釈:ベンゾジアゼピン情報センター 管理人)
コロンビア大学ジャーナリズム専攻卒業。2010年より精神医療領域で活躍するコラムニストに。現在ヘラルドトリビューン社にてリードコラムニストを務める。