原文:Elderly Former NASA Analyst’s Protracted Lorazepam Injury
ニコル・ランバーソン 医師アシスタント Nicole Lamberson, PA
私はアーノルド・ヌーセンと5年前に会いました。といっても電話でです。アーノルドは私たちBICが協働しているオンラインベンゾジアゼピンサポートグループの長老です。 グループ内での彼の投稿は常に絶望的で、わずかでもいいから改善が必要な切迫感がありました。 ひどく苦しんでいることは明らかであり、このまま自死してしまうのではないかと恐れていました。そんな折、アーノルドから自分の体験をシェアしたいという要望があり、私たちは電話で話すことができました。
宇宙飛行士ボブ・クリッペンと握手をするアーノルド
若い頃、アーノルドはNASAの技術者(QAアナリスト)として、誘導ミサイル、潜水艦、スペースシャトルの開発に携わっていました。 現在81歳で妻と62年間フロリダに住んでいます。
2003年、66歳のときにアーノルドはスクーターから後方に落下し頭蓋骨を骨折しました。 ホスピタリスト(訳注:病院総合診察医。米国では入院患者の診療にホスピタリストが主導的に専門医やコメディカルといった医療チーム全体を患者中心にまとめあげる)はアチバン(ロラゼパム、ワイパックス)1mg/日を2週間分処方し、その後の処置を神経科医に委ね退院指示を出しました。
そしてアーノルドは疑うことなく、神経科クリニックからロラゼパムを9年半処方され指示通りに服用していました。そしておそらくベンゾジアゼピン慢性投与による耐性がついていったために、ロラゼパムの処方量は増えていき最終的には8mg/日(ジアゼパム換算で80mg)に達しました。 アーノルドは用量の増加についてなんら医師から説明を受けず、診察はいつも3分診察だったとのことです;『“じゃあ今回はこれだけ(ロラゼパムを)出しておきますね。お大事に” こんな感じでルーチン業務でしたよ。』
ほとんどのベンゾジアゼピン処方ガイドラインは、漸減期間を含めて2〜4週間に処方を制限するよう推奨しています。 また2019年のBeers CriteriaではベンゾジアゼピンとZドラッグは高齢者に使用するには不適切な薬であるとしていますが、最近の研究では65歳以上の高齢者が最も多く処方されているグループであることが明らかになっています。
2012年までにアーノルドは数回転倒で気絶し、結果として脳震盪が3回、それに骨折によって人工肘になってしまいました。この体験からアーノルドはロラゼパムをやめたいと神経科医に相談。すると神経科医はロラゼパム8mgを80mgのバリウム(訳注:ジアゼパム、セルシン、ホリゾン)に一気置換し毎週投与量を半減し、そして中止しました。アーノルドは震えやその他の離脱症状を発症したため神経科医は1週間だけ5mgを再投与。結局合計でわずか4週間という急減薬でした。
アーノルドのようにジアゼパム換算で80mg(例:ロラゼパム8mg、リボトリール4mg、アルプラゾラム4mg)に相当するベンゾジアゼピンを長期間服用している患者の場合、アシュトンマニュアルはバリウムへの段階的置換を推奨しています(全用量を一気に切り替えるのではなく、1~2週間ごとに何割かづつ段階的に切り替えていく)。そしてその後に36週~67週間(3年~5.5年)のテーパリング減薬となります。より敏感な患者にはもっと時間をかける必要があるという免責事項すらあります。
さて断薬後のアーノルドですが、厳しい胸の痛みで心臓発作様症状が起こり、筋肉の緊張と痙攣で歩けなくなりました。そして時が進むにつれて事態はさらに悪化しました。2015年には外出できなくなっていました;「体調は悪化し続け、隣の部屋にすら行くことができません。最悪の症状のひとつは歩こうとするときです。歩こうとしているのにわたしは停止するんです。あたかも車がニュートラルになっていてクラッチをギアに入れたいのにギアに入らないかのようです。」ほかにも様々な離脱症状が襲います。脳圧、耳鳴り、不安、パニック発作、クライングスペル(訳注:crying spell。意味のない言葉を叫び続ける)、睡眠障害。「長期記憶が無くなりました。過去の人生を覚えていない...ですので人々に聞くしかない。もちろん誰もそんなこと理解できません。脳卒中でも起きない限り長期記憶を失うことなんてことないでしょう?これがベンゾジアゼピンによる傷害だなんて誰も知らない。」6年以上にわたりアーノルドは昼も夜もリビングルームの椅子に座って過ごします。リラックスしてそう? 椅子に腰かけている時はいっときも休まることなく1000ポンド(訳注:約500kg)の重りが体を椅子に押し付けているようです。不幸中の幸いは、困難ながらも自分の手を伸ばして歯を磨いたり髪をとかしたりできる。唯一それだけです。
アーノルドは、ロラゼパム処方前にはこのような症状を一切経験しておらず、“なんの問題もなかった健康体でした”と言います。彼は最初の処方時にロラゼパムが及ぼすこのような結果の可能性についてまったく注意を受けていません。
断薬後2年の間アーノルドは4人の異なる神経科医に相談し、症状を改善するために複数の筋弛緩薬を試しましたがどれも効果はないか悪化するかでした。そしてある日クロノピン(リボトリール・ランドセン)1mgの再服薬を試みたところ、アーノルドの筋肉は硬直しついに彼はまったく動けなくなったのです。それ以来彼は何も服用しておらず、医師は誤診するばかりでまったく役に立たないと感じています。「離脱症状は1年以上続くことはないらしいのでもはや何か別のものになってしまったのかもしれない。いずれにしても神経科医はどのように考えているのか…。」とアーノルドは言います。 アーノルドにベンゾジアゼピンが原因だと確信しているかどうか尋ねました。 彼は当然だと言わんばかりに答えました。「もちろんだ!」
ベンゾジアゼピン中止後の遷延性離脱症候群は1991年にヘザーアシュトン博士によって確認されました。100以上ものベンゾジアゼピンに関する論文を発表したマルコムレイダー博士によると「英国には精神安定剤中止後10年経ってもまだ症状が残る患者を記録したデータもあります」とのことです。 PAINWeekジャーナルは次のように結論付けています。「ベンゾ遷延性離脱症候群は患者には周知されている事実だが、なぜか医療提供者に認知されていない。これは問題だ。この現象の発生機序は解明される必要があり、臨床医はこの存在を認め真剣に受け止めるべきである。」そして、カリフォルニアの精神科医であるスチュアート・シプコ博士はこう提案します。「遷延性離脱症候群にはもっと適切な名前が必要です...。“離脱”と言ってしまうと、中止後数日ないし数週間で消滅するかのように思われてしまう。」 シプコ博士は遷延性離脱症状を“薬物神経毒性症状(drug neurotoxicity)”と呼んでいます。
アーノルド。スペースシャトルの打ち上げシーンにて
アーノルドの79歳の妻は彼の身の回りのためにあらゆることをしなければなりません。 彼女はトイレでもどこでも肩を貸して一緒に歩きます。「妻はいま芝生を刈り終えたところです。本来は私の作業なのですが」と彼は電話口でささやきました。罪悪感が感じ取れました。 アーノルドの世話のストレスで彼女は心臓発作を2回引き起こしました。「妻にとっては悪夢です。 なぜなら私はひどい傷害を負い痛みが24時間365日、1分も止まることなく続く拷問を受けているかのようですから、子供のように壊れ泣きわめきます。そして妻はわたしを抱きしめてくれるのですが、こらえきれずに彼女も泣いてしまいます。」
アーノルドは電話の最後に次のように話しました。「それが何か分かった今、2度とそれを口にしないだろう。ぜったいに。ベンゾジアゼピンは人類が経験する最悪のものだ。」
わたしも同様に8年以上もの間寝たきりだったので、椅子に投獄されたアーノルドの状態が想像できます。失われた健康、時間。若さ、キャリアロス、経済的困難、出産の機会損失。 なんて無駄なエクササイズ。この生き地獄に耐えることによるメリットは何もない。仮にメリットがリスクを上回る場合でも、患者は十分すぎるほどにインフォームドコンセントを与えられるべきです。
(翻訳&注釈:ベンゾジアゼピン情報センター 管理人)
バージニア州在住、医師アシスタント(訳注:医師の監督の下に簡単な診断や薬の処方、手術の補助など医師が行う医療行為の一部をカバーする医療資格者。北米、英国などで導入されている)。2000年ジェームズマディソン大学で学士号を取得、2004年イースタンバージニア医科大学でMaster of Physician Assistantプログラムを修了。緊急医療と産業医の研修中にベンゾジアゼピン離脱症候群による重篤な疾患が原因となり退職。
2005年、ニコルは仕事のストレスのためにザナックス(ソラナックス・アルプラゾラム)を処方される。 その後5年間、典型的なベンゾジアゼピン離脱症状の多くを発症し、複数の精神科医がこれを精神疾患と誤診。そのためベンゾジアゼピン薬2剤、Zドラッグ、抗うつ薬、抗精神病薬などの多剤処方に。
2010年、ある雑誌に書かれたベンゾジアゼピンによる同様の体験記事を発見し、自ら調査を始め自身の症状がベンゾジアゼピンによるものだと認識に至る。だが当時スロー減薬の重要性に関する情報が少ないことにより、依存専門病院で短期間で抜かれ現在まで続く重度遷延性離脱症候群をもたらした。
体調が許す限りニコルはベンゾジアゼピンの危険性とその重度遷延性離脱症候群について執筆し、ベンゾジアゼピンインフォメーションコーリションでの活動を含む啓蒙活動を行っている。ベンゾジアゼピン離脱症候群の生の体験を伝えつづけることと同時に、料理や献身的な家族との時間を楽しんでいる。